『使命』
2006年 03月 13日
使命と聞きますと、何かとてつもなく大きな偉業を成さなくてはならないように聞こえてしまい、それに圧倒され続け、自分の使命というものを真剣に考えたことがありませんでした。
以前のブログで、「使命とは、一生懸命生きること」と書いたことがあります。
「自分の使命を知りたい」とおっしゃっている方々が周囲に多かったのですが、私は「そのようなものを知る前に、生きる事に集中することが大切」であると感じていました。
現在でもその思いは変わっていませんが、その思いの形に少し変化がありました。
「使命とは、一生懸命生きること」
これは生まれてきたもの全てに共通する基本のラインであり、
「各々の使命もある」
というように、思いが変わって参りました。
自分の使命を知りたいと願わなければ、知ることは難しいかもしれませんが、もし願ったのであれば、それは必ず「知る」時期がくると感じております。
しかし、「知る」ためには、まずは基本のライン、「一生懸命生きること」、に立つことが必要であるのではないかと思います。
基本に立って初めて、「知る」プロセスを歩めるのではないでしょうか。
各々の使命というのは、必ずしも一つであるとは限りませんし、大きなものでもないかもしれません。
それは人それぞれの歩む道でありますので、「枠」はありません。
望めば、自らの使命と感じる瞬間は必ず訪れ、それは、本当に心の奥深いところから、確信としてやってきます。
たとえそれが、一部であったとしても構わないと思っております。
それは、人というのは多種多様な側面を持っているからです。
時に逃げ出したとしても、それも一つの大切なプロセスです。
けれども、それでも一生懸命生きていますと、突然「自分の使命を知る」という素敵な瞬間に出会い、自ら得たものであればあるほど、それが自分の使命であるという思いは確固たるものとなっていくと思っています。
自分の使命を知ると、それは生きていく為のとても大きなエネルギー源となりますが、「知っている」という安心感のようなものが出てきますので、心の奥深い部分では、とても落ち着いた暖かいエネルギーで満たされてきます。
使命故に、辛いことも多いとは感じておりますが、逆に、その分の喜びはとてつもなく大きなものであるとも感じております。
しかし、「知った」一本の道を歩いて行くということも、また何にも代えがたい素晴らしいものでもあると思っています。
ここで忘れてはならないのは、自ら得た使命ではあっても、それは周囲の愛すべき人々がいたからこそ感じられたものであることです。
その事を心に留め、また感謝を込めて自らの道を歩んでいくことは、彼らへの恩返しではないかと思っています。
これはあくまで私の個人的意見でありますので、必ずしも同じようなプロセスを歩まなければならないということではありません。
人はそれぞれ歩む道が異なります。
自分が感じた道を歩んで進んで行ってください。
しかし、それでも、自分のプロセスを一生懸命歩んで行けば、きっと素敵な「知る」瞬間に出会えるのではないかと、今の私は確信として感じております。
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「自分の使命を知りたい」とおっしゃっている方々が周囲に多かったのですが、私は「そのようなものを知る前に、生きる事に集中することが大切」であると感じていました。
現在でもその思いは変わっていませんが、その思いの形に少し変化がありました。
「使命とは、一生懸命生きること」
これは生まれてきたもの全てに共通する基本のラインであり、
「各々の使命もある」
というように、思いが変わって参りました。
自分の使命を知りたいと願わなければ、知ることは難しいかもしれませんが、もし願ったのであれば、それは必ず「知る」時期がくると感じております。
しかし、「知る」ためには、まずは基本のライン、「一生懸命生きること」、に立つことが必要であるのではないかと思います。
基本に立って初めて、「知る」プロセスを歩めるのではないでしょうか。
各々の使命というのは、必ずしも一つであるとは限りませんし、大きなものでもないかもしれません。
それは人それぞれの歩む道でありますので、「枠」はありません。
望めば、自らの使命と感じる瞬間は必ず訪れ、それは、本当に心の奥深いところから、確信としてやってきます。
たとえそれが、一部であったとしても構わないと思っております。
それは、人というのは多種多様な側面を持っているからです。
時に逃げ出したとしても、それも一つの大切なプロセスです。
けれども、それでも一生懸命生きていますと、突然「自分の使命を知る」という素敵な瞬間に出会い、自ら得たものであればあるほど、それが自分の使命であるという思いは確固たるものとなっていくと思っています。
自分の使命を知ると、それは生きていく為のとても大きなエネルギー源となりますが、「知っている」という安心感のようなものが出てきますので、心の奥深い部分では、とても落ち着いた暖かいエネルギーで満たされてきます。
使命故に、辛いことも多いとは感じておりますが、逆に、その分の喜びはとてつもなく大きなものであるとも感じております。
しかし、「知った」一本の道を歩いて行くということも、また何にも代えがたい素晴らしいものでもあると思っています。
ここで忘れてはならないのは、自ら得た使命ではあっても、それは周囲の愛すべき人々がいたからこそ感じられたものであることです。
その事を心に留め、また感謝を込めて自らの道を歩んでいくことは、彼らへの恩返しではないかと思っています。
これはあくまで私の個人的意見でありますので、必ずしも同じようなプロセスを歩まなければならないということではありません。
人はそれぞれ歩む道が異なります。
自分が感じた道を歩んで進んで行ってください。
しかし、それでも、自分のプロセスを一生懸命歩んで行けば、きっと素敵な「知る」瞬間に出会えるのではないかと、今の私は確信として感じております。
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by drop-flower
| 2006-03-13 01:22
| 日々徒然