ひとつに留まれない私の日々やフラワーエッセンスのこと


by drop-flower

伯父からのギフト

伯父が自ら命を絶ってから約1年が過ぎようとしております。
伯父の死は、母が他界した時よりもショックが大きく、考えただけで食べ物が喉を通らない事がしばらく続いた程でした。

しかし、伯父が自らの命を持って私に与えてくれたギフトはとてつもなく大きく、どんなに感謝してもしきれず、その大きさを考えると、ただただ感謝の涙がこぼれてきます。


1年という時を得て、自ら得ることができた伯父からのギフトをお話したいと思います。
(長いです)

伯父が亡くなった直後、自ら命を絶った者の魂の行方が、どうなるのか気になって仕方がありませんでした。
自身でも本を読んだりしておりましたが、人によって考え方が異なり、自分の中で確固たる真実を見出す事はできませんでした。
しかし、そういった場面に直面した事がありませんでしたので、伯父の死に直面するまで、その事について深く考える事はありませんでした。

実際に直面してみると、自分の中の揺るぎない真実を感じることができなかった為に、色々な方に『魂の行方』の答えを求めました(セラトータイプらしい行動です。。。)。
しかし、それぞれの方がそれぞれの考え方をしており、一つの真実は全く見えてきませんでしたし、答え(応え)の中には、一切の光が閉ざされたような感覚に襲われる内容もありました。
ただ落ち込む日々が続き、終にはその状態に耐え切れなくなってきていました。
そのような状態では、人間は、急に憑き物が落ちたように光の扉を開ける事があります。
そして、私が開けた光の扉とは、

『私は私の真実のみを信じる』

という事でした。
言葉にしてしまえば当然の事でしょうけれど、セラトー(自らの意見を信じられず他人に答えや助言を求める)をタイプレメディに持つ私には、ここに辿り着くまでには、こういったプロセスを歩まなければ得られなかった大きなギフトなのです。

そう決心した後は、心がとても軽くなり、伯父の魂の行方について悩むことは殆どなくなっておりました。

しかし、一方では、『自殺』という事に対して確固たる真実を見出せずにいました。

1年という時を過ごしてみて、やっと最近その真実に近づけたような出来事がありました。

『全ての出来事は、神(宇宙)の秩序のもと起こる』

大げさかもしれませんし、全てを神のせいにしているように聞こえるかもしれませんが、結局のところ「そうなのだ」と感じました。
全てに神性が宿るという事が、一体どういったことか分からずにいましたが、こういった事を指すのではないかと思いましたし、それを実感した途端、伯父からのギフトの大きさに改めて感謝をせずにはいられませんでした。

また、『自殺』という出来事に、善悪もなければ、自ら命を絶った者が、弱い人間であることもないという事を今では心の底から信じられるようになりました。
自ら命を絶つという行為に対してカルマが残るかもしれませんが、それはカルマであって、善悪は存在しないと思います。
そこに善悪が存在しないという事を実感してみますと、本当に心に平安が訪れます。
その平安は、伯父の死の直後の私には信じられない程のものです。


関連して、新しくギフトとなりそうなこともあります。
それは、『宇宙の真理に繋がるためには、自分の中の真実からしか繋がれないのではないか』という事です。
宇宙の真理を説いている方も本も数多く存在していらっしゃいますが、彼らの発するエネルギーが自分と宇宙を繋げるのではなく、それらはあくまで情報なのです。
真に繋がっているという感覚を得るには、自らの体験を通して得た真実からしか道がないのではないかと思うようになりました。
と言って、情報を発信する必要がないかというと、そういう事ではなく、それらはとても貴重ではあるけれど、自らの体験から得たものより貴重なものはないという事です。
この事に関しては、またこれから得ていくと思っております。



こう言葉にして伯父からのギフトを綴ってみると、本当にたくさんのものを与えてくれた事を実感致します。
どんなに感謝してもしきれませんが、私が自ら「得た」という貴重な体験をシェアさせて頂くことで、感謝の想いを贈りたいと思っております。


最後まで読んで下さった方、長い文章に付き合って頂いてありがとうございます!!!



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by drop-flower | 2006-05-15 01:30 | 日々徒然